●単なる武道やスポーツではない
少林寺拳法は単なる武道やスポーツではなく、宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承する宗門の行である。単なる
スポーツとの相違を考えてみれば、スポーツはルールが伴う勝負が中心であり、ルールを重んじるフェアプレイ
の精神が強調されるが、現実には勝つことが目的であるため、勝つためには手段を選ばぬことになりがちである。
又、武道の現状を見ても、その多くが普及促進のためにスポーツ化されているといえよう。
しかし、真の武道においては、相手が無法非道の者に限られるためルールを伴う試合は考えられず、従って試合
をしても必勝よりも不敗の態勢をとることが、スポーツとの決定的な違いなのである。
●守主攻従
少林寺拳法は「守主攻従」という原則に貫かれている。これは宗門の行であり、破邪の拳であるが故に自分から
先に手を出さぬという仏弟子の心構えである。もっとも単に守りに終始するのではなく、強烈な反撃を伴うこと
によって守が生きる「守即攻」をいうのである。
●組手主体
少林寺拳法が宗門の行である最大のポイントは「組手主体=相対演練主体」というところにある。勝ち負けを争
う試合がないので、試練も、技の正確さ、巧拙等が採点されて決められるが、組手主体であるため、相手が下手
では自分も落第してしまう。従って相手を大切にする習慣が育ち、協調性のある人柄が養われる。又、技術の面
からみても、動いている相手に対する攻防の間合いとか虚実といった種々の条件が必要で、それらは単独では会
得できないものである。
●剛・柔・整三法一体
少林寺拳法の技は、完全な剛柔一体である。
もともと剛柔二法は本質的には別個のものであるが、天地陰陽と同じく、別々に存在したのでは意味がない。た
とえば、相手が打ちかかってきたら、受け・かわしなどの剛法攻防があり、手や襟、袖をつかんでの攻撃には、
守法から抜きや投げ等に変化する柔法……というように、相手の出方や攻撃の種類や質に応じて自在に対処でい
るからである。又、少林寺拳法には、健康の保持と増進のためのすぐれた法術として、経脈の理にもとづく整法
が伝えられており、剛・柔・整三法一体として重用されている。
●一拳多生の活人拳
真の武道は、技を通じて心を磨く道であり、人間完成の手段でなければならない。そのため、少林寺拳法では一
拳必殺という言葉は使わない。一拳多生であり、不殺活人である。身を護り正義を貫くために戦うとしても、相
手を傷つけることなく、完全に戦意を失わせ、相手の暴をくじくことによって相手にその非を悔いさせ、正道に
おもむかせる効果的な法術なのである。
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